色々と。ネタ帳だったり日記だったり。
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誰得なの
明日ママとかいうドラマが話題なのらしい。1回も見たことなく、今から見るつもりも無い。
目に付いたのはドラマそのものじゃなく、「このまま放送するべき」が半割以上だった某所のサーチ結果。
その理由をまた目で追っていのだが、「規制が掛けられたら報道の自由に反する」「そのような施設の内情を知る機会が奪われる」とか、そんなもの。
適当なコメント流してる中に、一体どれくらいの割合で、このような施設で育った環境の人間がいるんだろうな。

私にとっては、本当に、こんなものはただのドラマでしかない。最終的にどれだけ感動的な展開がされようとだ。
ドラマを流し、結果、「考えさせられました」「感動しました」と反響があったとして、それが現に施設に携わっている人達、とりわけ子供達にとって、どんな良い事があるというのだ。
それが例えば、視聴率稼ぎや話の盛り上がりを意識しない、事実だけを述べるドキュメンタリー番組であるなら意味を見つけられたかもしれない。だがドラマは違う。キャストから台詞、次回へのヒキに至るまで、必ず脚色が入る。その時点で現実の世界とは似て非なるものだ。

もしも、もしもとしか言えないが、私がそのような目を向けられて許し難く思うだろうことは、自分とは全く関係のない、興味も無いメディアから一方的に好奇の目を寄せられ、「これは社会奉仕です」などとこれまた一方的な社会正義でもって憐れまれる立場に置かれ、本来関わりのない人間の視線に自分はおろか周囲さえも晒されることだ。着色された膜を通して、本当の色など見えてはいないのに。

権利とは便利な言葉だ。「あるかもしれない虐待」を食い止めたいと純粋に思うなら、内部調査でも何でもやればいい。それが何故ドラマ仕立ての劇を見せられて、劇でしかないのに「報道の自由」なんて言葉が飛び出してくるのかが意味不明だ。それに、そんなに内情を知りたいなら、ぐだぐだ言ってないで直接施設を見てくればいい。
しかし結局そうまでしないのは、個人的興味の域を脱しないから。それを勝手と言うのではないの。

どのような境遇にあるのか、私は知りもしません。ただ、作り物ではなく現実を生きている子供達が、大人の身勝手で不用意に傷つけられて良い訳が無い。公益性というのなら、テレビの前に張り付いているような人間よりも、現場の人の声を聞いたほうがよほど意味があると、私には思われます。
…しかし、本当、このドラマに限らず、途中で終わっても個人的に全く無問題というくらい娯楽番組を殆ど見ない。世界遺産は良いですな。一度ぐらい、映っている場所へ行ってみたい。
日が昇るのと落ちるのと / - / -
雪がぁぁ
ついに降りやがりました。

天気予報大ハズレーとか期待してたのが悪かったんですかね。積もってはいない、いないんだが、ワイパーが凍ってる。
明日も諸用で出勤なので今日も早めにお休みでございます。明日もあの道を走るのか…(泣)
折角なので雪の写真など撮れたら良いですな。

絵板と拍手にぽちぽちありがとうございます!
辺境の辺境ですが、何か見てやって頂けたら嬉しいです。では×2☆
 
日が昇るのと落ちるのと / - / -